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そとめぐり

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②-2 大野教会堂

 

「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」は、禁教期に密かに信仰を続ける中で育んだ、宗教に関する独特の文化的伝統を物語る貴重な文化遺産です。17世紀から2世紀以上に渡り続いたキリスト教の禁教政策の中、潜伏キリシタンが自らの信仰を続けていく中で、仏教や神道などの在来の宗教を装いながら、密かにキリスト教の信仰を続けていました。 潜伏するきっかけとなる出来事が起こった「原城跡」、密かに信仰を続けていた各地の「集落」、信徒発見の舞台となった「大浦天主堂」など、長崎県、熊本県の6市2町に残されている12の構成資産で、「禁教・潜伏期」を物語っています。そのうち、長崎市に3つある構成資産のうち、外海地区には「外海の出津集落」、「外海の大野集落」、の2つがあります。

 

 

 

マルク・マリー・ド・ロ神父(1840−1914)

ド・ロ神父は天保11年(1840)、フランス・カルバドス県バイユ群ヴォスロール村に生まれました。
バイユの神学校を卒業後にパリ外国宣教会に入会し、1868年、長崎へ渡来しました。
明治12年(1879)外海地方の主任司祭として赴任したド・ロ神父は、布教はもちろん、農漁両面に力を注がれました。
ゆかりの地を訪ねると、建築、製粉、搾油、パン、マカロニなどの製法、農機具、イワシ網工場など、神父があらゆる分野に精通していたことに驚かされます。
また、神父が外海を支えた証である建物が点在する出津文化村以外にも、神父が開墾した農耕地や私財を投じて掘った井戸、農作業小屋などが残っています。
それらは外海の歴史を今に伝えると共に、深い人類愛を持って外海の人々に生涯の全てを捧げたド・ロ神父の偉大さを静かに物語っています。

マルコ・マリ・ド・ロ神父

 

 


 

 

外海エリアの構成資産

1 外海の出津集落

外海の出津集落には、禁教下においてもキリスト教信仰が組織的に継承されてきた地域です。
18世紀になると、外海から五島列島などの開拓移住が行われ、外海は移住先に潜伏キリシタンの信仰組織が形成された基点となった場所です。
1873年のキリスト教解禁後、ド・ロ神父の指導のもと、1882年に出津教会堂が建てられました。また、ド・ロ神父は慈善事業にも力を入れ、女性の自立を促すため、1883年に授産施設として出津救助院を創設しました。

出津教会堂と関連施設 出津教会堂と関連施設

 

 

出津教会堂

出津教会
出津教会

明治15年(1882)、ド・ロ神父の設計施工で建てられた教会です。その後、明治24年(1891)、同42年(1909)に増築し、現在の教会の形が整えられました。
外壁は練瓦造り、玄関は石造り、内部は木造で、三廊式の漆喰塗り平天井となっています。屋根は瓦葺でしかもとても低く、これは、海岸に面した風の強い立地条件を配慮しての建築なのだそうです。鐘楼の鐘は神父がフランスから取り寄せたもので、朝夕に美しい鐘の音を谷間一帯に響かせています。
平成23年(2011)に国の重要文化財に指定されました。
※さだまさしの原作の映画「解夏」の撮影が行われた教会です。

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旧出津救助院

旧出津救助院
旧出津救助院

ド・ロ神父が地域の女性たちの自立を支援するため、明治16年(1883)年に建設した授産施設です。
授産場・マカロニ工場・鰯網工場(現ド・ロ神父記念館)などの建物からなり、地域の信徒によって製粉や製麺などを行い、様々な商品が生産されました。
授産場は、木造及び石造、地下貯蔵庫付きの2階建で、1階は南側を除く3面が、赤土に石灰を混ぜた目地材を用いて石を積む「ド・ロ壁」になっています。マカロニ工場は煉瓦造の建物で、内外を漆喰で塗っています。
現在、これらの建物は地域の歴史や文化を紹介し、当時の作業を体験する施設として一般に公開されています。
平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されました。

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ド・ロ神父記念館

ド・ロ神父記念館
ド・ロ神父記念館

明治12年(1879)外海地方の主任司祭として赴任してきたフランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ神父は、深い人類愛の精神とすばらしいフロンティア精神をもって、外海の人々の魂と肉体の救いのため生涯を捧げました。ド・ロ神父記念館は、神父の遺徳をしのび、すばらしい業績を顕彰するために設けられました。
記念館は明治18年(1885)に神父自ら鰯網工場として設計、施工したものでその後、保育所として使用されました。昭和42年(1967)に県指定文化財になり、翌年にド・ロ神父記念館として開館しました。さらには平成15年(2003)に旧出津救助院の一部として国の重要文化財に指定されました。建物は、木骨 煉瓦造、平屋建てで、上屋に洋小屋組(キングポストトラス)の屋根を架けた明治時代の洋風建造物としては特異な建物であります。内部には宗教関係や医療、土木、建築など神父がこの地で行った様々な事業に関する品物が収められています。

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2 外海の大野集落

外海の大野集落は、禁教期に潜伏キリシタン自身により信仰を続ける中で、神社の氏子として密かに自分たちの信仰対象を祀(まつ)り、神社を祈りの場としてキリスト教の信仰を継承しました。

 

大野教会堂は、明治26年(1893)、大野周辺の26戸の信徒世帯のために出津教会堂の巡回教会として、ド・ロ神父によって建てられました。また教会堂は平屋建で、強風に対応するため、「ド・ロ壁」を北側玄関前に直立させて風除けとした独特な建築様式となっています。

平成20年(2008)に国の重要文化財に指定されました。 

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出津教会

 

 

 

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